~競争棄権的な生き方~
私が若い時に父に言われた言葉がある、この年齢になってか世相なのか、ふと思い出され、その意味する事を実感する今日この頃
現代は何かにつけ全ては競争である、学生で受験に始まり会社に入っては出世競争や他社よりも売上げを・・自営業でもお金を稼ぐ事は常に他者との競争に他ならない、ネット内でも他サイトを蹴落とす為のノウハウ、己のみがいかに大金を独占するか等の方法が蔓延だ
考えてみれば、意識するしないに関わらず、常に競争で勝つ事を子供の頃から半ば強要されて生きているに等しい(まるで競走馬
競争に勝つ事が幸福へのステップの如き社会、世界の本質は全員参加型お金争奪レースとさえ見える
20代の頃から、私も当たり前のように、その競争に日々血眼になって仕事に没頭していたし、疑問を抱く事も時にはあっても日々の忙しさが、そんな思考を許さないでいた・・
そんな時、父に言われた事がある
「皆で競争させられて上を目指すけど。その上に幸せが有るって言われたのか?競争すれば必ず振り落とされて負ける人が出るんだ」
「でも負けて落ちてみて初めて下を見た時、実は上じゃなくて下に幸せが有るって発見する事もあるんじゃないのか?勝ち残って上に行ってみたら何も無かった、騙されたって事もあるかもしれない」
そんな内容だったと思う
その当時は、「何を言ってるの?」ってなもんで聞く耳など持ち合わせていなかった
しかし、昨今の従来型のアメリカ型経済構造の終焉や大企業の人に対する扱いを目の当たりにし報道されるのを見るにつけ、父の遠い昔の言葉が蘇ってくるのである
会社必ずこう言う
「会社が儲かるから皆、幸福になれるんだ!会社を儲けさせろ!」・・と
世界で一番儲かっていると言われる会社、数社にも勤めてもみたが、殆どの人は幸福なんかじゃなかった身も心も酷使され精神を病んだ上司が沢山いた、行方不明になって発見されて病院にいった同僚や飛び降りて亡くなってしまった人までいた
しかし、世間では一流企業と呼ばれている、儲かっているから・・それだけだ
そして会社はこう言う
「個人の弱さの問題だ!能力の問題だ!」・・と
誤解を恐れず言わせてもらう、初めから競争に参加しない、自ら競争棄権する生き方だってありだと思う
勿論、努力しないと言う意味ではない、努力する方向というかベクトルが違っていると呼ぶべきか
競争ではなく共生とでも呼ぶべきか?そんな社会があっても良いのではないかと思えてくる、どうやって勝つかではなく、どうやって負ける人を出さないか、そんな社会があってもいいと思う
100個しかないものを一人で50個もっていて残り50個を99人で奪い合わせる
これが今の世界の状態、競争とはそう言う事だ、これが今の頭の良いと呼ばれる人達・偉いと呼ばれる人達が作っている世界の状態、私はそれを今になって父の言葉に教えられた気がしている
毎度、競馬サイトとは思えないコラムで申し訳ない
